(本編から数年後のルスハンです。ルスの中にはマヴェの形の穴が空いてる。欲望のままに捏造設定を盛りました。なんでも許せる人向け)
整備の連中から聞き出した。翼端のミサイルランチャーとパイロンの隙間にフライトジャケットの切れ端が挟まっていたって。 見慣れぬ色。 似たような生地。 知らない徽章。 刺繍された名前は読み方が分からなかった。 口さがない奴ら、噂話を楽しむのはいいが、何もわざわざ本人に伝える必要はないだろうに。祝いの輪から外れて、初撃墜を決めた中尉は青白い顔でサイダーを啜っている。 マーヴ、ここの砂漠は夏の盛りだ。砂漠に夏があるなんて知らなかった。砂漠はいつも夏なのだと思っていたから。 砂漠の夏は吹き荒れる熱風の季節だ。灼熱の嵐が砂を纏って荒れ狂う。砂は渦を巻いて立ち上がり、空を覆う壁となって聳え、雪崩津波のごとくにすべてを呑み込む。 マーヴ、ここの嵐は赤い。嵐に色があるなんて知らなかった。嵐は見えない風と透明な雨でできているものだと思っていたから。 この土地に住む人々は砂との戦いに疲れ切っている。風とともに押し寄せる砂から集落を守るために人生のほとんどを費やす。子供たちの多くは砂塵で目を傷つけ、老いるよりも先に失明する。 マーヴ──真昼の星は見えるか? おれにはよく分からない。晴れ渡った青空に光の粒がきらめいたなら、きっと敵機の翼だと思う。だが白く濁った瞳の子供たちは飛行機乗りが誰しも真昼の空に星を見るものだと信じている。 砂漠の夏、赤い嵐が砂丘ひとつを吹き飛ばしたあとに丸く残ったたまさかの庭で、おれは子供たちの指差す先にじっと目を凝らす。そしてたった二つか三つ、知っている限りの星の名前を口にする。 ポラリス。 オリオン、 サザンクロス…… そいつは星の名前じゃない 間の抜けた効果音とともに手の中へ滑り込んで来たメッセージを読んで、おれは唇を歪めた。 北極星の隣にオリオン座は見えないし、南十字星が見えるのは南半球だ しばし考え込み、しくじったのは認める、と綴ってすぐにデリートキーを連打した。液晶のガラスパネルの二ミリ上空を指が迷う。ため息が漏れる。子供の夢を壊さないのが大人の仕事だ。送信。 ルースター、 親愛なる心優しい友よ、 皮肉っぽいキャピタルレターがカートゥーン風の囲みの中に小気味良く飛び上がり、ミリタリータイム表示の受信時刻が夜を刻む。22時44分。22時45分。 夜空の星に名前をつけたのは、そのチビどもの曾々々々々祖父さんなんだぜ 「おい、ジェイク……」 薄い寝台から跳ね起きざま、転がり出た名前の置き場に困って狭い部屋を見回した。古いホテルを借り上げた官舎は壁からも床板からもシーシャの煙の匂いが染み出している。ツインルームを共有する相手はカナル式のイヤホンを両耳に捩じ込んだきり、小一時間前と同じ姿勢で背表紙の擦り切れたペーパーバックに齧り付いていた。 スティーヴン・キング、『ペット・セメタリー』。 夕食を終えて戻ってきたときの短い会話を思い出す。ベストセラー作家の書く小説ってのはそんなに面白いのか? 癖の強い黒髪をソフトモヒカンに刈り込んだ年下の大尉は肩をすくめて答えた。ジャック・ロンドンだって「面白い」だろ? おれはヘッドボードに投げ出したまま二週間も触っていない『どん底の人々』の表紙を見やったきり、もう一度メッセンジャーアプリの画面に目を落として、22時45分と表示されたまま動かなくなったチャットの最後のメッセージを読み返した。チビども。名前をつけた。夜空の星。 考え込みすぎだ。うんざりした気分で液晶の上の端に小さく表示された時計を確かめる。二分間の沈黙に言い訳を付け加えるよりはもはや話を切り上げたほうがましに思える。 ふと画面が半ば暗転し、バッテリーの残量不足を知らせるウィンドウが表示される。節電モードを実行しますか? いいえ。すると閉じたウィンドウの下から予期せぬジョークが飛び出す。 窓を開けてみろ 22時47分。なぜ? 送信。 そして瞬く間に五分が過ぎ、七分が過ぎ、十分が過ぎ去る。 「ルースター。聞こえてるのか?」 いつの間にかイヤホンを外したルームメイトが怪訝な顔でこちらを見ていた。 「消灯だぜ」
マーヴ、あんたは知ってたんだろう。砂漠に夏があることも。砂嵐が赤い色をしていることも。星を見上げるために夜空を仰ぐ人間とは別に、真昼の空を睨む人間がいることも。 マーヴ──真昼の星はどんなふうに瞬いていた? 眩むような青空を指差して星の名前を告げたとき、親父はどんな顔をしていた? 驚きと喜びに満ち溢れた眼差しであんたを見ただろうか? 初めて空を飛び、雲を越え、丸みを帯びた地平線の向こうから朝日が昇るのを見たときのように?
「彼女? それとも、奥さん?」 おれは顔を上げ、うっすらと汗をかいた緑色のガラスびんの向こうに重い瞼を瞬かせた。 「いや……義理の親父だよ」 大人びた眼差しの少年が目の前に立っている。がらんとしたホテルのラウンジに行楽の浮ついた香りだけがない。ビロードが擦り切れニスの禿げた猫足のソファを壁際に積み上げたところへ折りたたみのテーブルと椅子を並べたここは、今や急造りのメスホールだ。人気のない時間に誰かが休んでいると、この少年はすばしこく片付けや拭き掃除をして回りながら、上手にチップをねだる。届けられたばかりのコーラのお代わりを頼むつもりにはなれないが、おれは思案して少年に頼み事をする。 「グラスを取ってきてくれないか」 そうしてニッケルでできた硬貨をいくらか彼に手渡す。 四時半整列、五時十分離陸開始、六時二十分全機降着。そういう日の午前中は正直に気怠い。アドレナリンが切れたあと昼を回るまでの時間は耐え難いこともある。 砂埃でざらつくスマートフォンの輪郭を擦ってそれをテーブルに置く。開いたままにしたチャットの外に数件の未読メッセージがあることを示す数字が左上に表示されているが、おれは見て見ぬ振りをする。そうしてつい学生時代を思い出す。 誰からの連絡を五〇件も読まずにほったらかしてるんだ? 開いていないメールを溜め込むのが何より苦手だった友人の渋面に、きっと同じ答えを返したはずだ。 義理の親父だよ。 「そんなにたくさん、お父さんとなんの話をするの?」 少年はグラスをテーブルに置いたついでにおれの手元を覗き込んで尋ねた。 「なんでも。思いついたことはだいたい、全部だ」 瓶入りのコーラを洗い立てのグラスに注ぐ。勢いよく噴き上がった泡がグラスの内側に張り付く。まるでフォームドミルクを入れすぎたカプチーノそっくりに見える。 おれは不意に少年の真っ黒なまつ毛の向こうで瑞々しい瞳が惜しげもなく砂に傷付けられていることを知る。瞬きは痛々しげで重い。ひどい眠気に悩まされているかのように、だが睡眠が決して救わないものによって。 少年は視界を失いつつある目をゆっくりと瞬きさせ、むしろ香りを確かめるように鼻先をテーブルへ近づけて言った。 「だけど、ちっとも返事が来てないみたい」 そうかも知れない。だがもうあまり気にしていない。考えても仕方のないことだ。どうしてそうなったのか、何が悪かったのか、考えてはいけないときもある。たとえば空の上では決して。 歩を進めれば足跡が残る。 父親の背中を追いかけているつもりがいつの間にか、さまよう足跡を探すようになっていた。砂の上に丸く丸く円を描いて、蜃気楼に惹かれて西へ東へ、オアシスの水に休むことも忘れ、さまよい歩く足跡。 いつか追いついたなら尋ねる言葉もあるはずだと思っていた。なぜだったのか、なにがあったのか、ありとあらゆる真実を手にするための正しい言葉を自分が持っていると信じて疑わなかった。何より、その言葉を突きつける距離に必ず追いつけるものだと。子供がいつか自分も大人になると信じるように、なんの理屈も確かさもなく。 マーヴ、あんたは何を見ていたんだろう。真昼の空ではない、夜空の星でもない。海の水の底の底に、あんたが何を見ていたのか知るのが恐ろしくて、おれは気づいたらあんたの瞳の色さえ忘れていた。
21時18分。今日。送信者=ジェイク・《ハングマン》・セレシン。 砂漠で飲むコーラは美味いか? 短いメッセージを前におれは考えを巡らせる。砂漠の朝、昼、夕暮れ、夜。記憶を繋ぎ合わせてそこにコカコーラのガラスびんを置く。不味くはない。少なくとも、水より安い。 病院のベッドの上ではコーラが飲めないのかも知れない、とおれは思う。ジェイクは──止そう。今日となってはコールサインが単に格好をつけるためのものでないことはよく分かる。ハングマンはあの日、いくばくかの皮肉か、せめて短い罵りを欲しがっていた。機転に長けているとはとても言えない同僚を相手に望むほど、それが声音に表れるほど彼は参っていた。当然だ。お互いまさに働き盛りの三十代後半。パイロットとしてもっとも恵まれているはずの時期に脳腫瘍を宣告される苦痛など、想像もつかない。 おれは無様にうろたえた。いささか自罰的な調子で病状を告げる彼の声を奇妙に遠く聞きながら絶句していた。携帯電話を耳に押し当てたまま忙しなく部屋を歩き回り、デスクの埃を払って、空のコーヒーカップを左から右へ動かし、窓のブラインドを閉じたり開いたりした。役立たずを絵に描いたような有様。彼が何を望んでいるのか分かっていたのに、応えてやれなかった。おれがしたのはただ、深い同情の気持ちを辿々しく口にすることだけだった。 気の毒に。おれにできることがあれば言ってくれ。云々。 彼は電話口で長い長いため息をついた。 セルフィを何枚か。セクシーなやつだけでいい。うんと気張れよ。 それきり彼は電話をして来ない。 おれは彼に身体の具合を尋ねたいと思う。悪くはないという答えを聞きたくて気も狂わんばかりだと、どこか他人事のように感じる。そして胸の一番奥の暗がりにその気持ちを隠す。隠して液晶のキーボードをゆっくりとタップする。 バザールで売られているコーラは水よりも安い。味はアメリカと同じだ。送信。
20時08分。 2019年6月24日。 送信者=ピート・《マーヴェリック》・ミッチェル。 スピードウェイに来た。何か欲しいものは? 返信、 20時09分。 飲み物を。 20時10分。 炭酸水かな。あと歯磨き粉も切れてた。 20時14分。 間に合ったらでいいんだけど、ピタチップスが食べたい。フレーバーはあんたが好きなもので。 20時32分。 バイクの調子でも悪い? 20時40分。 夜道に気をつけなよ。 20時56分。 『ジュラシックパーク3』は駄作。 21時02分。 『ブレアウィッチ・プロジェクト』ってホラー? 21時03分。 ウォッチリスト潰しに誘ったのはさ、二人でって意味だったんだけどな。 21時09分。 あー。これ一人で見るのきついかも。 21時14分。 嘘だろ……。 21時26分。 うわあ。 21時26分。 無理。 21時27分。 早く帰って来てくれ。頼むから。 22時51分。 マーヴ、先に寝るよ。明日は早いって言ったのあんただろ。 7時02分。 2019年6月25日。 おはよう。少し体を動かしてくる。もし戻ったら、バスルームの洗濯物を取り込んでおいて。 7時53分。 朝食に目玉焼きを二つ作ったら卵がなくなった。出来れば買って帰ってくれると嬉しい。 9時27分。 自転車借りるよ。 13時20分。 ランチはスリー・スクエア・カフェで食べた。あんたの知り合いに会ったよ。たっぷり愚痴を聞いて来たから、今度あすこへ行ったときにはパンケーキのひとつくらい奢ってくれてもいいんじゃないかな。お互い休暇は今日で終わりなんだし。 13時22分。 正直、あんたはおれに連絡を入れるべきだと思うね。 18時05分。 冷蔵庫にあったブルームーン、飲んでもいい? 19時47分。 どこにいる? 21時30分。 誰かに相談すべきか迷ってる。 22時18分。 マーヴ、返信してくれ。 23時09分。 お願いだ。 二〇一九年の六月二十五日。結局、マーヴェリックは帰って来なかった。二十六日も帰らなかった。二十七日。二十八日。一週間経っても、ひと月が過ぎても、彼は戻らなかった。コンビニへ行ってくる、洗濯用洗剤を切らしていた。そう言って出掛けて行ったきり。 重苦しい不在の下に喘ぎながら三ヶ月が過ぎた。毎週末おれはあの日を過ごした家から最寄りのスピードウェイまでの道路を溝浚いして歩き、地元警察と何度か押し問答をしたあと、海軍から注意を受けた。ハングマンから最初の電話があった。おれたちは一年ぶりに顔を合わせ、ほとんど無言のまま酒を飲んだ。マーヴェリックは帰って来なかった。 半年が過ぎ、一年が過ぎた。おれは休みがあるたびに飲んだくれるようになっていた。ハングマンとは何度か電話で話した。電話をよこすのはいつも彼の方だった。夏の休暇の最後に顔を合わせ、また無言のまま一緒に酒を飲んだ。彼はおれの飲み方を見て暗い顔をした。今夜限りで酒はよせ、と言った。死にたくなけりゃな。マーヴェリックは帰って来なかった。 二年が過ぎる前に、おれは転勤の辞令を受けた。昇級の見込みと引き換えに再び戦地へ赴けということだった。半日で荷物をまとめ、翌日の輸送機に乗り込んだ。出発前の滑走路で何本か電話をかけた。故カザンスキー海軍大将の御内儀、退役したペンサコーラの元教官、それにハングマン。彼にこちらから連絡するのは初めてだった。酒を止めるにはいい機会だ、と彼は低く笑った。死ぬなよ。おれはひどく人恋しい気持ちになり、電話を切ったあとしばらく呆然としていた。 マーヴ、行ってくるよ。 輸送機のローディングドア目掛けて走り出そうとした足を止め、おれはメッセンジャーアプリにそう打ち込んだ。 向こうに着いたらまた連絡する。 2021年4月7日。 11時43分。
脳腫瘍。グレード2。治療法。検索。 手術摘出。局所放射線治療。テモダール化学療法。検索。 生存期間中央値。検索。 治癒。検索。 通知音とともにバナーが降りて来る。二件の新着メッセージ。タップ。ウィンドウが切り替わり、昨晩の短いやり取りの続きが表示される。砂漠で飲むコーラの味。バザールで売られている水の値段。アメリカ。 おれは無愛想な返信を少し後悔した。言い訳をするなら、こういう限られた言葉のやり取りは苦手な方だ。それでも、相手の置かれた状況を考えれば、もう少しやりようがあったと思う。 先のことがいくつか決まったから知らせておく 返信は要らない、消灯時刻を守るように 23時03分。 小言じみている。ほんのわずかに頬が緩むのを感じた。彼にもリモアの原隊では教え諭す相手が少なからずいるはずだ。澄ました顔が思い浮かぶ。 分かった。送信。 余計なことをした、という考えが早々に頭を掠める。茶化されたい気分ではなかったかもしれない。黙っていることに耐えられなかったせいで軽はずみな行いをした。この先に続く話を思えば黙っているなどとても──だがいつも本当に、どんなときも彼の方が一枚上手だ。 お前がマーチングツアー(罰行進)送りになってるところを一度でいいから見ておきかったね おれは海軍兵学校の制服を着込んだ二十歳そこそこの彼がライフルを担いで炎天下を行ったり来たりさせられている様を想像し、くすりと笑った。 まったく同じことをいま考えている。送信。 出会うのが遅過ぎたな。送信。 しばしの沈黙。彼が何かをためらったのは分かる。寝返りを打つための間合いでも、水を一口含むための隙でもない。胸の内を引っ掻くに充分な長さの沈黙におれはすっかり怯んでしまう。だが彼は違う。 そうは思わない 23時05分。 おれはオシアナを離陸する前の電話を思い出す。死ぬなよ、と言った彼の声音。通話を終えたあと、呆然と滑走路の陽炎を見つめていたときの風の匂い。 手術の予定が決まった エンジンの排熱と滑走路の照り返しに焼かれたあの日の風がどこかに残ってはいないかと耳をそばだてる。バージニアビーチを吹き抜ける潮風の記憶は赤い砂嵐の轟音の向こうに霞んでいる。 医者としては できるだけ早くおれの頭蓋骨を開けて腫瘍を穿り出したいそうだ ぞっとしないが、 善は急げという考えには賛成した 今から医学の奇跡に身を任せに行ってくる ちくしょう、とおれは内心で毒づく。カリフォルニア州は午後一時だ。もう何時間か早く知らせてくれることだってできたのではないか。何時間か前、おれがちょうど哨戒から戻る機上で着陸許可を待っているさなかだったとしても。 書き置きは以上だ 悪いがもう時間がない 残りは戻ったあと、お前が聞きたければ話す 23時06分。 暑く湿った風の記憶が唐突に立ち現れる。潮風とは違う、飛行甲板をいっとき這うように渦巻いて消える灼熱のつむじ風の記憶。黄金色の太陽に目をすがめ、彼はおれの心臓を拳より強く言葉で叩いた。ぶちのめしてやれ──帰ってから話そう。おれは鈍い頭痛を感じてこめかみを押さえた。帰ってから話そう。生きて帰って、それから話を。 帰らないとは言われなかったから、おれはマーヴェリックが戻ってくる日のことを考え続けている。明日かもしれない。明後日かもしれない。十一年行方不明だった娘が帰ってきた家だってあるのだ。なぜ諦めなければいけないのか分からない。 戻らないとは言われなかったし、おれは彼を愛していた。何より彼はおれを愛さなかった瞬間などないと話してくれた。彼が戻らない理由が見つけられない。戻らないわけがない。 マーヴ、そうだろう? 通知音。 追伸、セルフィは随時受付中 23時08分。 「大人しくしてろ」 画面に向かって嘯いた言葉の後ろ半分は掠れたため息になった。おれはまだ物思いの浅瀬に足裏を浸している。戻らないとは書き置かなかった男の記憶にずぶ濡れになったまま、乾いた砂の上へ背中を投げ出す。黄金色の太陽。 どんな話だろうと聞く。必ず連絡をくれ。 待っている。 幸運を。送信。 「ルースター。起きてるのか?」 反対側の壁際のベッドから掛けられた声におれは慌てて背中を向けた。 「もう寝る」 「いや……なあ、あれを見ろよ」 逡巡して唸り、いかにも面倒臭そうな仕草だと思いながら体をひねった。ルームメイトはマットレスの上に起き上がり窓の外を見ていた。こちらを一瞥もしないまま目線の先を指さす。 「火事じゃないか? 基地とは逆方向だな。あっちはなんだ、バザールか」 すん、と空気の匂いを嗅ぐ。焦げ臭い。バーベキューグリルの中に落ちた樹脂製のカトラリーが焼けるときの臭い。掛布を退けて上半身を起こし、普段なら青ざめて見えるほど黒い夜空を赤茶色に染め始めている煙に目を凝らした。緊急車両のサイレンが聞こえる。 「バザールじゃない。向こうは──」 すべてを遮って非常呼集を知らせるアラームがけたたましく鳴り始めた。